故事是這樣的,接下來是小編說書時間,請自備飲料、爆米花~XD
ほうじ茶の由来
ほうじ茶は日本独自のものであり、生まれた経緯は諸説ありますが、その中でも特にユニークで面白い由来について紹介します。~時は昭和4年、昭和恐慌といわれた大不況時代の出来事。
当時、お茶は高級な飲み物として、一般食品の中では高価とされていた時代、大不況の煽りを喰って売れ残りのお茶がお茶屋に山積みとなっていました。
当時は茶の保存技術が未熟で、ただ茶箱に入れて倉庫に放置したままでした。
現在のように冷蔵保管、酸化を防ぐため真空、窒素充填技術がないので、二夏(2年)を越すと色の変質や異臭が発生し、廃棄処分にするしかない状況です。
「焙茶」是日本的特有茶,誕生的來源有許多說法,其中特別有趣的故事我們來介紹一下。
時值昭和4年(1929年),被稱為「昭和恐慌」(1927年起)的不景氣時代,當時,茶葉是高級的飲料,一般食品中屬於高價的,因為不景氣的關係,茶葉商倉庫中的茶葉堆積如山
(小編沒有亂翻,有原文對照)。當時的保存技術還不夠好,只能裝箱放在倉庫中,不像現在可以冷藏、抽真空、充氮氣等等對抗氧化的技術,經過 2 年只能讓這些茶葉變色發臭,只能丟掉廢棄處理。
這樣才是有良心啊!
そこで、とある困り果てた京都の茶商が、飲めなくなった古い茶を京都大学の研究所に持ち込み、茶の再生をお願いしたのです。
大学の先生たちも困りました。議論をつくしてもいい案が思い浮かばない。そんな状況の中、とある先生が一人の生徒に命じ、湿気ていた茶の葉を鍋で乾燥するように命じたところ、その生徒は鍋の中で煙の出るまで焦がしてしまいました。
どうせ飲み物にはならんだろうが…と思いつつ、湯を注ぎ飲んでみた処、思いもつかぬ芳ばしい香りに驚き、研究室のみんながその味に驚嘆しました。
早々、茶商にこれを持ち込むと、その変貌した美味しさに大喜び。こうしてほうじ茶が一般消費者向けに商品化されました。
(茗広茶業ホームページより)
~失敗から生まれた美味しいお話ということで、しかもそれが日本有数の京都大学から生まれたというのも面白いですね。
因此而困擾的茶商將沒喝過的就茶葉帶到了「京都大學」的研究所,拜託教授們讓茶葉重生
教授們也因此傷腦筋,討論許久也沒有好方法。這時候,某位教授命令學生
好辛苦的研究生啊!將已經潮濕的茶葉拿去炒鍋乾燥,但是這個學生炒到鍋子冒煙整個都焦掉了。這是故意的吧?這時候他心裡想反正都是要拿來喝的,就直接加入熱水試試看,沒想到傳出「驚人的」香氣,研究室中的大家都對這個味道感到驚嘆。
我腦裡怎麼閃過「美食獵人」的畫面很快的,茶商就利用這個方式,開心的將這個變身後的美味商品化了。
以上來自茗廣茶業的官網
在日本有名的京都大學因為失敗而誕生的美味故事是不是很有趣呢?
根據日本維基百科的資訊,「ほうじ茶飲用の習慣が深く根付いている京都では、上質なほうじ茶が料亭の改まった席で供されることも珍しいことではなくなっている。 また、昔から病院に入院時の食事の際にほうじ茶が出ることが多い。」
在愛喝茶的京都,高級的焙茶在高級的日本料理店也越來越被愛用。除此之外,在以往「住院前」的佐餐飲料也多用「焙茶」做為搭配。
今日の製法は、1920年代に京都において確立されたといわれる[3]。焙ずることで苦味成分のタンニン(カテキンなど)が壊れ、渋味や苦味が抑えられるので、口当たりは他のお茶よりもあっさりとしている。
現在的製法跟上面的故事一致,是在1920年代的京都確立的。因為焙燒後破壞了苦澀味來源的「單寧酸」,喝起來比其他的綠茶更順口。
所以,焙茶的發源地是「京都」,喝京都產的焙茶應該是最道地、品質最好的。